Talk Talk link info favor BBS game Gallery

■Talk■

しろうと人間学
第七章 被害者という名の加害者


まず、ボクに被害妄想癖があるという人がいるが、それは違うと思う。
そんな言葉があるかどうかは別としても、ボクのそれは「加害妄想」なのだ。
僕自身が誰かを傷つけてはいないだろうかという妄想であり、
いわゆる「被害妄想」とは似ているようで、まったく正反対のものなのだ。

世の中、すべての人の利害が一致することはありえないから、
だれしもが常に、加害者であって被害者である。
見方を変えれば、加害者と被害者が入れ替わることだってありえるのだ。
もちろん絶対的な被害者というのは存在するのだが、
自らの価値観や思惑に反するすべての事象に対して被害者根性をむき出しにする人がいる。

自らの価値観や思惑通りに世間が動いてくれたらという希望を持つこと自体は
そうそう悪いことでもないだろうが、それがかなわなければ彼は被害者なのだろうか?
それは違う。
そこで被害者意識をもって、自らの語彙にまかせて不平を連ね、相手を糾弾することで
彼自身がまた加害者になっているのだということに気づくべきだろう。

「世の中、馬鹿ばっかりで本当に迷惑だ」なんてクチにするひとは、
そんな浅はかなことをクチにして
周りを不快にさせていることにすら気づかないほど愚かなわけで、
確かに、世の中はそういう人や、無論ボクを含めて馬鹿ばっかりなのが現実だから
どこかで誰かが被害を被り、加害している。

被害者意識の強い人というのは、
自らの加害者的側面にまるで目をむけないことが大きな特徴であり、問題なのである。
もちろん、自らが加害者でもある可能性を考えたら、
声を大にしてまくし立てることができないからこそ
あえて目を背けているのだろう。

論点を上手にすり替えたり、語彙を駆使して、
自らの被害をアピールするほどの知性があるなら、
もう少し他に考えることがあるんじゃないんだろうか?

絶対的な被害なんてものは、そうそうあるもんじゃない。
ただの価値観の相違や、因果応報といったものの方がはるかに多い。

ご大層な口上を掲げて、人を糾弾できるほど御立派なんだったら、
そういった軋轢にたいして、どのように折り合いをつけるかを考れそうなものだが、
それが出来る出来ないは、彼らにとってはどうでも良いことで、
自らの被害をアピールすることだけが大事なのだ。
結局、被害妄想というのは、子供の駄々となんらかわらない。

人の数だけと言っていいほど、さまざまな価値観が存在する世の中で、
自分の価値観を押し通しきれると思ってしまったり、
そういったことによる社会の理不尽を学ばずに育ってしまった人には
何も言うべきことはない。

それでも、そういった被害妄想を身内がクチにした場合は、
その不満を言う前に、その不満を取り除くためにどれだけの行動と努力と、
セッションをもったのか?そして、自らに一割の非もないと言いきれるのか?と問いただす。
大抵の場合、そういった意識が芽生えた時点で、そういう善後策やら、自らの非に対して
完全に意識を逸らしてしまっているのだから、それに気づいてもらうしかないが、
それですら人に言われてどうこう出来るものでもないようだ。

書いていれば、なにかしら結論が得られるかと思って書き進めた今回のコラムは
今のところ諦念という結論にしか達することができていない。

ここまでをひな形として、もう少し考えをまとめてみたいと思う。
それが出来なければ、それこそこのコラムそのものが、ただの被害妄想になってしまうから。

gallery bbs game info favor link talk mail